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文章と色々で

何を書くかはわかりません

適合していく感じだ

社会性を失っていくことが、アウトサイダーっぽくてサブカルっぽくて格好いいとか、そういう感性を持っている自分がいるんだけど、いい加減に強引に社会と自分を適合させていこうという気持ちがある。

今日言いたいのはこの言葉だけで、あとは適当です。

 

別に適合っていっても思考停止を受け入れて洗脳されていこうとか、そういうんじゃなくて、(つまり諦めてつまらなくなろうとか、そういうんじゃなくて)適応しといた方が絶対自分にも良いし、事実私は適合出来てる人の方が好きっていう自分の中の気持ちもあるから、それにあわせて自分をそういう方向に持って行くのは別にいいでしょと思っています。

だから、社会の流れにシニカルな目線でくだらねえって思う態度を持ちながらも、それに沿って行動することも出来る、とそういう人にならないといけない。くだらないことは嫌っていい理由ではない。

 

まず午後の時間に眠って24時付近に起きてそこからずっとダラダラしている現状、を何とか変えていかないとなあ。変えられ無さそうだ。

 

家に帰るまで、とか、上着を脱ぐまで、は、凄くやる気に満ち溢れていて、(これは本当の話なんですけど)家に帰ったら夜ご飯を作って洗いものやって筋トレしたらシャワーも浴びて、終わったらストレッチやって今日はちゃんと布団敷いて寝よう、とか考えながら帰るわけですよ。本気で。

帰って上着を脱ぐと、何となく座ってパソコンつけてる自分がいるし、何となくゲームやってる自分がいるし、何となくYouTubeとかTwitter見てる自分がいるし、もう何回TweetDeckの通知タブを見たか分からない。何か誰かから急に私に何か起こらないかなって期待しちゃってる。の割にメールを読むのはしんどい。LINEも返さない。(はあ)

 

でもこういう生活を正す(って言うとちょっと良くないけど、少なくとも一般的な人レベルに持って行く(そこにまず到達させる))ためには、細かい出来ること、を1個1個ガンガン回していく必要がある。やる気を満ち溢れさせてえいやーってやるんじゃなくて、やっていっている内に勝手に自分から放出されてるみたいなやる気。身体の内にため込むんじゃなくて、適度に思考停止モードに入れていく感じだ。頑張るぞー。(頑張るぞーって言ってる時点で違う)(ボケ)

 

コーヒー飲み比べ会を今度自宅で開催するのが当面の生活の目標で、どういう感じでやろうかなとか色々考えています(さすがに4杯のコーヒーを一気に飲むと気持ち悪くなりそうだけど、どうしようとか)。

幸せになる準備はいいですか?

姫乃たまのワンマンライブ「アイドルになりたい」@渋谷WWWに行った

 

前物販は16時から。スペイン坂、カフェ人間関係を横目に会場へ。10分前ぐらいに着いちゃったのでそのまま左折して周辺散策ったりしてた。宇田川カフェの場所を覚えたので今度行くぞ。

www.udagawacafe.com

 

 

前物販で『First Order』『僕とジョルジュ2』『僕とジョルジュ2.5』『号外 地下しか泳げない通信』を購入~。地方民は普段なかなか買えないからね。これを楽しみにしてました。ランダム来来と券も購入~。

 

 

・・・うーん

唐突になんか何書いてんのか分からなくなったぞ。

 

 

 

ごめんなさい。方向転換します。

なんか急にライブレポートって書くの難しいな~って思い始めたので単なる感想を書いていこうと思います。

 

 

・入場の時に貰った手紙の文面でもう幸せな気持ちになりました。(帰ってから他の人のツイート見て気づいたけど香り・・・!)

・前から姫乃たまのステージは猫っぽいと思っていたんですけど、腕と手の動きが特に猫みたいだと思いました。

・とろんって効果音が出そうな雰囲気の出し方がいいなあって思った。

・衣装が何回か変わったけど、どれも、同じ方向性ではないんだけど、良かった。最後の真っ赤な衣装で撮れたチェキは大切にします。

・(最初出てきたときのヘアスタイルの感じが好き。)

 

 

うーん・・・この書き方もなんか違うなあ。

もういつもみたいに本当に思いつくままに書きますね。ごめんなさい。私があとで見返してこんなこともあったなあって思い出すために書くので、皆さん、、、その、、、、アレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブ聴いてる時って手拍子とか、どんな表情して聴いてたらいいんだろうみたいなことばっか考えちゃうんですよね私。控え目で微妙な感じになってしまったり。あと、後ろのお客さんが私のこと邪魔に思ってるんじゃないかってずっと考えてつらくなっちゃうな。自意識過剰~。

でも、今日のライブで気づいたことがあって、私はどうしてもかなしい気持ちになっちゃうもんなんだと思う。別にライブでかなしい出来事があったとか、そういうの関係なくて、ふいにかなしくなった。それだけのことなんだけど、ああ私って自分勝手に考えてかなしくなっちゃうのか、かなしくなりたいのかって分かった。悲劇のヒロイン気取りやがってみたいな悪口あるけど、私はそれ言われるタイプだと思う。何回も言うけど、それでいいって思った。それでいいって思えたことが今日ライブ行って分かったことでもある。なんかかなしいけど、かなしくていいやって。もう何回も同じことしか言ってないな。よく分かんなくなってきた。でも、そう、私はすぐにかなしくなる、それだけだ。勝手に1人でいろいろ悲しく/哀しくなって変な顔しちゃう。でも、かなしいって思っても、愛しいに近いかなしいの時だってあるし、というか、たいていそうだし、別にこれでいいやって思いました。これが私なんだって。かなしくなるのが私、だから、別にいいや。かなしくなりながら生きていこうって思いました。姫乃たまは自分のこと俯瞰症って言ってたことあるけど、それ思い出した。悲観症だ私は。あっはっは。

ameblo.jp

 

最近、すべてのことに対して何も思わない、やや面白い。みたいなことをネットに書いたら、熱心なファンの方から、不感症をもじって「俯瞰症」というコメントが付いて、最高だなーって思いました。俯瞰症です。わはは。本当に最高。 

 

ライブのこと関係なくなっちゃった。まあいっか。私はすぐ悲しくなる。哀しいと思う。かなしい気持ちになっちゃっても別にいいやって今度から思うようにしよ。今日はライブ中になんかかなしくなっちゃったけど私が勝手にそうなっちゃっただけで、誰かや何かにお前が悪いって言うわけじゃなくて、ていうか、良いとか悪いとかそういう問題ではなくて、単に私はかなしくなりやすい、かなしくなりたい人なんだってだけです。私がかなしくなってたら何にかなしくなってるのか気になったら聞いてください。なんやねんとか、よくわかんねえってなったら放っといてください。自分でよくなるんで。世界にはもはや意味なんてなくて、ただ記号やら何かが蔓延してゲームしてるだけなんだ。ニヒリスト気取っていいですか。ははは。

 

ワンマンライブの感想に戻ろう。と言っても曲中は姫乃たまの動きや、それに呼応するファンの様子、それがやっぱり愛しいとしか言えない。互いの愛が見えるような、そういうライブだった。美しかった。甘美だった。

アンコールではじめワインとステーキが急に出てきて、姫乃たまへのファンからのサプライズの瞬間は自然と笑っていたし、いい瞬間だなあって思った。なんていうか、上手く言えないけど、いい、瞬間でした。

その後の歌は過ぎ去っていく楽しい時間を最後までエンジョイしようっていう開き直りがあったと思うんだけど、私はもうずっとこのテンションがこれからも続いていくような、永遠にライブの終わりなんて来ないんじゃないかっていうような、そういうある種のユートピア感を覚えた。2曲目でスクリーンに演者と曲目、スタッフロールが流れ始めたときにああやっぱり終わるんだって思った。閉まることがわかっているオルゴールのような、そんな気持ちになって(どんな気持ちだ)涙が出てきた。音、照明、ステージ、客席、ぜんぶがキレイで、泣いた。

 

行ってよかったな。私のことも分かったし、姫乃たまのことこれからも応援していこうって思った。行ってよかったな。CDたくさん聴こ。

 

 

追記(2017年2月12日)

当日買った『僕とジョルジュ2』というCDに「悲しくていいね」という曲があった。ライブでも披露していたな。かなしんじゃうのが私だなって思ったこのタイミングで出会う曲としてかなり運命的。歌詞の「こんなに悲しい気持ちも いつか忘れてしまうのね」や、「運命じゃなかったし 会うことももうないんだろうけど」「いつか忘れてしまうことが悲しい」、まさにそうなんだよな。瞬間の出来事なんてきっといつか忘れてしまうし、これは忘れまいって思って丁寧に脳内メモリに保存したはずの気持ちも、なぜか再生ボタンを押すと記憶が劣化してて、あの時ほどの切迫した気持ちになれない。出来事なんて、忘れてしまったら無かったことになってしまう。悲しいね。でも、悲しいのがいいね。

最近、くるりをたくさん聴いている。

ブログを書く。まとまった文章を書くのが苦手だ。タイトルと内容の連関はぜろ。

 

と言っても何の用事で書くかは決めていない。理由なく書くから思ったことを書く以上の何かはこの文章にはない。また思いついたことを思いついたままに書き連ねたブログが出来るんだろうな。誰に向けた文章なのかも分からない文章だから、まあ、そんなスタンスだって分かって欲しい。

 

人と話している時の私というものについて考える。なんか、どうしても規範的意識が強いっていうか、ここでこう言うべきみたいなものが身体化されている感じがする。で、逆にそうならない人、つまり仲の良い人に対しては思ったままに振る舞ってしまうので、それはそれで良くない。失礼な発言とか、そういうことしがち。反省はしてる、はず。でも、たくさんある反省すべきことに気付けていないかも。だから、なんか私の発話に関する評価とか聞きたい、とか、思っちゃう。

あと、真面目な話をしている時ほど、それについて考えたくなくなっちゃうのも良くないな。そのくせ、私は急に真面目な話をしたくなっちゃうんだから、自分勝手だ。だから、私と喋りのテンション、間、リズムが近い人は喋ってて安心できる。そういうのは咄嗟の反応とか、細かい仕草に出るので分かる方だと思う。あ、私の問題なので、はい。

 

人というものについて。嫉妬というものについて。何か考えたわけじゃないけど、なんか見ちゃうよね。覗いちゃうよね。あーこれ一番やめたいかも。覗きたくなる欲求を無くす方法を教えてください。

 

最近はコーヒーをやたら飲んでいる。でも去年買ったコーヒーメーカーを春ぐらいにうっかり割っちゃったから今は毎回自分でペーパードリップで淹れている。けど、今日ちょっとそれを面倒に感じちゃったから、割れた部品を買ってコーヒーメーカー使うようにしよう。玉田珈琲専門店は自宅で淹れるようの豆の販売もしてくれているっぽいので、挽いてくれるなら買ってみようかな。あそこのコーヒーは美味しい。

 

美味しいお酒を飲んで気持ちよく酔うことの心地よさったらないよまったく。

美味しいお酒っていうのは飲みたいお酒ですよね。私なんかたまにほろ酔いで満足しちゃいます。あんなのジュースだよってみんな言うけど、だからなにって感じだよ。各々の好みなんだから。ああ、君はそれがいいんだね。うんうん。みたいな感じでやっていこうよ。

 

頑張って生きている。それなりに頑張っている。それなりに。

 

部屋が寒いけど暖房をつけると今座っている位置に暖房が直撃してなんか嫌な感じ。だから暖房をつけていないけど、そうすると寒い。寒いからいつまでも炬燵で寝ちゃう。暖かい炬燵は最高の最高。ていうか、部屋をあれしたい。色々な整理をしたい。

 

寝るわけじゃないけど、おやすみ。たくさん本を読む方法とか、色々な生活の術を教え合う感じのやつやってみたい。おやすい。

一人称が変わるブログ

見たいものや読みたいものについて

 

いわゆる教養って言われる系の作品やらって見て/読んでおくことが望ましいやつだけど、「望ましいからする」って態度で始めるとそれって消費でしかないんですよね.

オタクカルチャーとか、このアニメ見とけってやつをちゃんと見れるかどうかって凄く重要で、僕はそういう消費だけの行為が出来ないときがある.

何か手元にいつでも見れるようにしておくけどいつまでも見ないみたいな状態が多い.

 

その気が起きたときにすればいいって思っちゃってて.

何が言いたいかというと、消費のためだけを動機にするんじゃなくてちょっとでもそれがしたいって気持ちが生まれたときにしてやろうって思っています.

そういう態度の表明.

 

あと、別に教養なくてもいいじゃんって思う.

あった方が会話が面白くなるのは間違いないけど、知らなくても会話って出来るし.

失敗したくないという気持ちに囚われがちだけど、別に失敗しても世界は続くし.そういうルートに分岐するだけで別にゲームオーバーにはならない.

恥ずかしいとか死にたいとか思うけど、そう思うことこそが人間って気にもなるんだよな.いっさいそういう感情を持たない方向で動いてきた人ってそれはそれでいいとも思うけど、私は別にそういう感情持っても仕方ないやって思ってるよ.

 

“未来には期待したいし”

 

 

アイドルとオッサン

地下アイドルはもともと蔑称ですから、もっと別の言い方、インディーズアイドルとか?を使って欲しい人もいる.ファンでも、アイドル本人でも。

アイドル界隈には変な用語がたくさんある。最近知ったのはピンチケ。

なんか、AKBの学割のチケットがピンク色だったとかで、そういう若い人の中には調子に乗る人間が多くて、素行が良くない人のことをピンチケって呼ぶようになったらしい。そして今ではピンク色のチケットでなくても若い人のことはピンチケって呼ぶ、のかな。知らんけど。たいていピンチケっていう言葉を使うと悪いことをする若者ってイメージ。なんかゆとりって言葉みたいだ。地下アイドルのイベントに行くと40歳以上のオッサンばっかだ本当に。だから若者が来るとアウェーだ。なんで来てるのって空気を感じてしまう。たぶん女性ファンが少ないアイドルのイベントにふらっと女性が行っても同じこと感じると思う。最近そういう空気を感じてしまってなんかつらくなったことがある。つらい、っていうのは僕が居た堪れない気持ちになるのもあるのだけど、別の気持ちもある。きっと、オッサン達にとっては若者が来ると何をしてくるか分からないという気持ちがあると思う。何をしてくるか分からない、何考えてるか分からない。なんでここにいるの?もしかしてオッサンのこと笑いに来たの?そんな、怖い、という感情で表せそうな気持ち。そういう思いをさせているんじゃないかという加害者意識からくるつらい。そんな気持ちが生まれてしまう。自意識過剰なのかもしれない。最近そうだ。

 

 

 

 

 

 

はー急にやる気なくなった。こういう文章書いても何か陰でドン引かれてる気がしてきた。俺のこと嫌いな人間がたくさんいる気がしてきた。「私のこと嫌いな人が私のこと嫌いなまんま生きていけばいいのに」みたいな言葉も何も意味ねえ。全部クリシェ。はい。本当はさ、もっとちゃんとしたブログ書けばいいのかな。例えば、こんなつい消しがある、みたいな分類記事とか。もっと何か1つのテーマでちゃんと書けるような、強度が欲しいと思うけど、それが出来ない自分がダメだ。あ~~~って気持ちになる。

 

最後にタイトル決めたので、また書き直すかも。

 

動きの自己啓発

例えば部屋にポスターを貼る、とか

放置してる本を本棚にしまう、とか

床に落ちている物を片付ける、とか

食器をキッチンに持って行く、とか

読もうと思った本を実際読む、とか

そういう、実働に5分とかからない作業をちゃんとする、ということ

なぜこれが出来ないのかは、考える必要がある

気力と言っている多くのことがこういうことになっている

 

「なんか、精神的にダメになった時って一切本読めなくなって」

「しかも最近それがずっと続いててダメなんですよね」

ADHDの検査やってる医者に行って一回検査受けてみるといいですよ』

 

きれいなものを見てきれい、って本当に思ってる?

愛とか言って誤魔化していない?

良い言葉を使えば自分に徳ポイントが加算されて、いつか幸福、として返ってくる、なんて考え。世界はそうやって回っています。そういう思想を持っています。そういえば父親は、僕が姉弟に比べて理不尽を被っていることを訴えた時、決まって「じゃあ今度良いことあるよ」とか言ってた。それですよそれ。つらいことの後には良いことが待っている。そんなの、小学生の道徳の授業みたい。もう通信簿は卒業したよ。

もう永遠に、次は聴けない音楽と、すれちがいたい。それなら好きになったりなんかしないで、ただ純粋にきれいって、言えるはずだった。 

 ちゃんと生きていればいつか幸せになれる。幸せなんて自分で決める。俺は今が幸せだよ。時間が止まってしまえばいいのに。いつもそう思っている。2年後僕はどこにいるだろうか。2年後の自分は何をしているのだろう。2年間糠漬け作ろうなんて言わないよ。

 

就職活動ってめっちゃキモくないですか?

自分を出すとか「は?」って感じ。代打なんていくらでもいて、別に誰でもいいから僕を使ってくれって感じ。僕にしか出来ないことなんてない、っていうのが重い思いです。

そんなことはなくて、

人と対面した時に何を言えばいいのかわからなくなってしまうことがある。

言ってしまえばよくいるコミュ障にありがちな現象に思える。でも現状、そんなことはどうでもよく、僕はこの現象を解決したい。解決しなければいけないような気に囚われているから。だって人と会話出来た方が楽しい、多分。

 

会いたい人はたくさんいる、し、僕自身話せない方ではないと思っている。

適当な返しだって出来るし、相槌とかはある程度身体にしみついた、コミュニケ―ション術みたいなものも自分の中にある。

でもこういうのが自由自在に出てくるわけではない、というか、人と話す時ってそんなのあっても意味ねえよって最近思ってきている。

具体的に言うと、サシオフを想像してみる。

「あの、――さんですか?」

「あ、△△さん?」

「良かったー。そうですー。こんにちはー。」

「こんにちはー。」

この後、自が何を言えばいいかわからなくなる。え、どうしてんのみんな。

会話がいつからか窮屈になっていたかもしれない。沈黙してしまう。黙ってしまう。

まあ、いいんですけど。僕はいいけど相手がね、それで相手が居心地の悪さを感じていたら嫌じゃん。自分に時間割いてくれてんのにブルーな気持ちさすの嫌じゃん。

どうしよ、何か話さないと。何がある。えーっと、そうだな、こういう時は外見の話題を聞いてみたらいいかな。ああ、でもコンプレックス刺激したら嫌だな。上手く相手の“チャームポイント”っぽいところ探さないと。

「あ、身長高いんですね~呟きのイメージで低いかと思ってました~」

「呟きのイメージで身長わかるんですか?笑」

「あ、はは、そうですねw勝手なイメージですけどw」

―――――会話終了―――――

TAKE2

「あ、洋服の柄素敵ですね~どこで買ったんですか?」

「これ古着なんですよ~」

「あ、そうなんですねー」

――――会話終了――――― 

 

みたいな感じで喋ってしまった時、それは場を繋げるための言葉であって、本当に柄が好きとか思って言ったわけではない。柄は好きだよ。好きな柄なんだけど、“あなたが着ている服の柄が凄く好みで良いと思った”から言ったわけじゃないんだゴメン。多分あなたが他にアクセサリーでもしてたら話題にならなかった程度の良さだよ。ごめんね柄。

僕はそうして、あれ?自分で話題振っといてアレだけど、さしてその柄好きじゃなくね?って思ってしまう、というか、どこで買ったとか、いくらしたとか、こういう柄は実はどこどこのなにがしがそれあれでね、、、みたいに相手が喋り始めても、その話題には既に関心が薄れていたりもしてしまう。どこかで言ったかもしれないけど、話題を振った時点でその話題への興味が薄れているんです。これってひどいよね。キャッチボールしよーって言ってボール投げてきたくせに、投げ返そうとした瞬間相手は別の方でサッカーしてる人達の動きに夢中になっているみたいな。喩え下手だな。

でも、そういうことがあるんです。これけっこう深刻な悩みで、人と会話してても、どっか窮屈に感じてしまう。

僕は嘘を言ったわけじゃないよ。本当に良いと思ったんだけど、それってCM曲のCMに使われている部分しか知らないような歌手の良さを語られるような、自分は本当はお菓子の話をしたいのにそれを聞かせられてるような(しかも歌手の話題を振ったのは自分!!!)、そんな気分なんだよ。だから誰かに迷惑かけてるんでもないし、かと言って僕に迷惑してるかと言うと、そんなことはなくて。語ってくれるのを聞くのも好きだよ。嘘じゃない。

 

ひどいのは、ボールが見当たらないとき。

相手に何を喋ったらいいかわからなくなったとき。

高校生の頃、中学の同級生と駅前でたまたま会ったことがある。

彼女はスクールカースト上位系女子で、でもサッカー部だった僕は彼女と何度か遊んだことはあったし、そんなわだかまり的なものもなかったと思う。思いたい。いや、思いたいんだ。信じておこう。

で、すれ違うみたいにして会ったんだけど、中学卒業以来会ったことないからお互いすれ違いざまに顔を見て「あっ!」ってなったんだよね。

僕は驚いたし、会って「えー最近どう?」みたいな会話するもんだと思ったから、(驚いた8、会話する2ぐらいのスタンスです)つい立ち止まってしまったんだよね。

「おおー」みたいな。そしたらその後特に言葉が出てこなくて、そしたら向こうが「え、何か用?」「あー、いや、別に・・・」「ふーん、そ。じゃ」「うん、じゃ」ってなってまた歩き出すことに。という記憶がありまして。

そういうので、既に話題出せてないじゃん!って思ったけど、何かその経験がけっこう印象的でした、そういう話です。ちゃんちゃん。

ではなく、相手に何を話せばいいかわからなくなった時、黙ってしまう。これはどうしたらいいのだろう。わかるよ、黙っていても心地いい相手がいることくらい。別に沈黙が苦にならない関係性だってあることに。でもさ、そんなのめっちゃ少ないじゃん。大抵緊張しちゃうじゃん。相手と会話しないとって思うじゃん。その辺難しいですよね。別にそういう関係じゃないから信頼してない、とかじゃなくて、その辺は相性みたいなもんです。

話題が出なかったとき、僕はどうすればいいのか、多分もう少し考えないとわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘です。こんな考えて会話してません。