文章と色々で

何を書くかはわかりません

言葉は尽きないけれど(サークルクラッシュ同好会の会員たちへ)

ずっと続く

 

今年も色々あった。あった。あったのか?
今年がもう終わる。終わってしまう。あと数日で令和2年になるらしい。なぜ。まだ。

 

僕はサークルクラッシュ同好会の会長ですが、今年はほとんど何もしなかった。
ほかの多くの会員と同じように黙って例会に行かないことが増えた。
ちなみにサクラ荘という団体に対しても同じことをしてしまっている。すみません。

 

アドベントカレンダーの登録も無視しているうちに無事に全員埋まったのだけど、複素数太郎の文章を読んだら自分も何かを語りたくなったからこのブログを更新した。

自分語りをします。思いつくままに。

 

先に断っておくと、おそらく私が語る内容は事実(日付や場所や文脈)を間違っていると思います。
もはや何が真実かわかりません。私が語るのはもはや嘘か本当かわからない話です。でも、その違いが何だと言うのでしょうか。日付を間違えていたら、私の語る言葉がどうなると言うのでしょうか。わかりません。教えてください。
だから(だから?)気にせず私は語ろうと思います。何かを。誰かに何か(この何かは私が思う「何か」でなくてもいいです)伝わると信じて。

 

サークルクラッシュ同好会会長というものについて書きます。

 

僕が会長になったのは大学4回生の年のはずです。
大学4回生だから2017年か。確かめる気力がありません。5分もかからないことができない。

 

サークラの活動の特徴は参加が自由なことです。グループLINEで呼びかけますが、必ず参加する必要があるものは一切ないです。
数年間来なかった人がふらりとやってくる、なんてこともよくあります。

 

ただ会長は基本的に全て参加です。そうするとどうなるでしょうか。
例えば新歓。毎年4月は京大の食堂で平日週2,3日を新歓に当てています。
新歓の日付、時間、場所を書いたビラを既にビラロードで撒いているので、それを見て来た新入生(新入生じゃない人も来る)に対して同好会の説明をします。
普通の会員であれば、気が向いたときに行けばいいものですから気軽なものです。
しかし会長は準備が必要です。目印代わりに使っているサークルの看板を用意し、歴代会誌やサークラ関連書籍、ビラも数枚用意して18時半には食堂にいなきゃいけません。

普通の会員は自分の選択で参加を決められますが、会長はそもそも自己を疎外して職務を果たすのです。
看板は悪目立ちするので、正直最初は苦手でした。目立つのが得意じゃない、僕は。
雨が降ってても時間通りにいなきゃいけませんから大変です。

 

思えば3回生か4回生の春に、ホリィ・センをちょっとでも助けようってふと思い立ったというのがあります。ホリィ・センはたいてい遅刻していましたし、毎回看板とかの準備を任せるのもなと思い、先に僕が行って場所を確保したりしていました。

私がやっていたのは純粋なる人助けだったのです。

 

会長としてやったことを思い出すと、こういう準備の時間を思い出します。
例会も内容を決めて必要なものを用意して教室を確保して、しかもLINEやTwitterで告知もして、そこまでしても開始時間に誰も来ないことだってありました。

 

今年のNF、僕は当日店番はしませんでしたが、前日の準備に行きました。


その日は朝起きてからずっと大阪でバイトだったので疲れていたけど、夜19時ぐらいに出町柳駅にバイト帰りの私を乗せた京阪電車が着いて、私は急に鴨川に行きたくなったのでコンビニに寄って鴨川に行きました。
鴨川デルタから西の岸、そこの北にかかっている橋、その橋より北にはあまり人がいないもんですから、私はそこが結構好きです。
ベンチに腰掛けて私は川本真琴のピカピカを聴きました。もうすっかり夜。

寒かったかは覚えてないや。

 

“全財産つめた鞄が軽くてステキでしょ?”
川本真琴の歌詞に出てくる人間のようになりたい。

 

好きな歌を聴いて元気が出てきたのだから、NF準備に行こうと思った。
そう、これはNF準備に行く話。
ホリィ・センにLINEして、集合場所に向かう。誰もいない。ホリィ・センが来る。
2人で準備を始めることに。
来ない人を責めたいんじゃない。準備した人がいることを知ってほしい。
深夜2時ぐらいまでかかった結局。途中から数人手伝いに来てくれて本当に助かった。

 


サークラの人は時間にルーズですから、遅刻が当たり前です。

サークラの活動は自由参加ですから、人がほとんど来ないときだってそりゃあります。

この当たり前自体を私はよくないと言いたいわけではありません。

でもこの当たり前の陰で、私は自分の心に虚しさを蓄え続けてきました。それを知ってほしいのです。人を責めるつもりは一切ありません。ただ私の虚しさを受け止めてはくれませんかと、この虚しさを誰か一緒に考えてはくれませんかと、言いたいだけなのです。私は開かれた未来に踏み出していきたいだけなのです。

 


わからない。
僕が会員に期待し過ぎなのだろうか。だめ。もうこのことについてつまらない言葉しかこの先に出てこない。だから、なるべく、それを、避けて、慎重に、丁寧に、言葉を。


僕が求めていることが会員への攻撃ではないことを信じてほしい。

不信感を生んでしまうようなことを書いているのはわかっているけど、どうか優しい心で文章を読んでほしい。
私が伝えたいのはただ、私を認めてほしいということである。私がやったことを知って、よく頑張ったありがとうと言ってほしい。なんか、ただ謝るだけとかをやめて。謝ってほしいんじゃないんですよ。伝わるかな。
ちゃんと言葉を使ってほしい。求められる言葉じゃなくて、君が発したい言葉を発してほしい。

 

私自身が求められる言葉にずっと囚われてきたから。会長をやっていて。

私自身が誰かにずっとそう言われたいと欲望しているから。
自分の欲望を真摯に見つめた先の先にある言葉を、発してくれる川本真琴の歌詞のような人になりたい。

 

「かしぱんがサークラの会長になったの失敗やったなあ」とホリィ・センに言われたことがある。僕にとっても、会員にとっても失敗だったのかもしれない。
それなりにやってきたけど、上手くできなかった自覚はある。
現に私は体調を崩して学生生活はもう終わり、サークラにはほとんど行けてない。

問題を起こしたし、同好会自体の存在感は薄れているでしょう。
一部からは会長になって会員と次々付き合って別れたやつ、と思われてそう。
まあ、そう思ってる人に対しては「そうですか」と思うだけですが。もう虚しさしかありません。


ただ、やっぱりたくさん後悔していますよ。

 

私自身、多くの人に対して無視をしてきたし、今もしてしまっています。私も誰かの心に虚しさを生んでしまっている。自覚はある。何とかしたいと思っている。でも、私の虚しさだって無視されたくない。この負の連鎖をどうしよう。


おそらく数年後、今サークラ(とサクラ荘)に対して無視している状況も私は後悔すると思います。それをわかっているのに、何とかするだけの元気がない。

 

たしかに私が会長をやったのは失敗です。
皆さん、これまでたくさんすみませんでした。
会長やってこうなるなんて、思ってもみなかったです。すみませんでした。

 

 


ただ、それでも、最後にちゃんと書いておきたいことがあります。会長をしてよかったと心から言える時間を一緒に作ってくれた友人がいることを。

去年、京都を一度去ることを決めた複素数太郎に、「かしぱんが会長でよかったよ」って言われた。泣きそうだったな。ありがとう。去年は複素数太郎と一緒に過ごす時間が長かった。その時間の全てを私はよかったと思っているよ。

そして小林通天閣、僕が会長になったときに半ば強引にサークラに引き戻したのに、僕がサークラ同好会を運営していくのを一番に助けてくれました。とても心強かったし、僕ら無敵だったと思う。ありがとう。今もずっと、心の支えであり続けています。

 


ああ、ここで文章を結べばほかの会員に対してたくさんの無視をしてしまう。
また負の連鎖に加担して誰かの心に虚しさを生んでしまうのではないか。そしてそれはほかの会員の信用を失ってしまうことに繋がるんじゃないかという怖さがあります。
(例えばホリィ・センに対してはまだ伝えていないことがたくさんある。)
1人1人の会員に対して、私が気持ちを書き連ねれば、本当は永遠にこの文章は続けられるし、まだまだ書き続けなきゃいけないけど、ここで一度文章を閉じさせてください。

 

それをし続けるほどの元気が私にはありません。

 

喋りたいです。皆さんと。互いのことをもっとよく知りたい。
相手を信じ、自分を信じる気持ちをもって喋ること。

難しいからなかなか出来ないのはわかっているけど、そうしたいと思っております。

そうすることが、関係を未来に向けて開く唯一最もたしかな方法だと信じております。

今はこれで文章を閉じさせてください。 

 

どうか不信と悪意で世界を満たさないで、私があなたを、あなたが私を信じ続けられますように。
あと数か月で京都を去る私はそう感じております。

ならないと思います。

数日前?にネットで色んな人が自分の意見を言ってた記事。

note.mu

 

“これらの事を踏まえ、男性のモテの定義を「女性を性的に魅了できるか?」としたうえで、「男性のモテる人格」についての見解を述べれば「女性は暴力に性的な魅力を感じ、暴力的な人格を有する男性がモテる」ということになるだろう。”←ならないと思います。

 

一読して思ったのは次の6点。


※本来、こういったことは元の論文を読んでからすべきです。自分は英語を読むのがとても遅いし体力を使うためそこまで出来ないと思ったので当該記事を書いてる人の解釈だけしか読んでいない。すみません。僕が挙げてる疑問は元の論文読めば書いてあるかもしれない。僕ならこういった点が実際どうなのか考えながらソース読むと思います。

 

英語圏の恋愛研究の結果が日本でも当てはまる?
②いじめが直接性的魅力を感じさせるとは?
③ギャングの研究は「セックスパートナー数」の「報告」なので女性が暴力に性的な魅力を感じたかは不明では?
④テイルズオブレイプの「レビュー数」の割合で男女差があることは「嗜好の劇的な性差」を示すことになるのだろうか?
⑤レイプする/されるを男/女であると無自覚に前提していないだろうか?
⑥レイプする/される=男/女だとしてもテイルズオブレイプの鑑賞体験はどちらに自分を見出すかによって異なる。される側のほうがよりレビューを書きたくなってしまう体験である可能性は?

 

とりあえず即座に思ったのはこういったことだけど、言及しないのもアレなのでほかの研究にも言及はしておく。でもこれはかなり重箱の隅的感想だなと自分でも思う。
⑦実験のデザインによって「レイプファンタジーを持っていると報告」することもあると思う。「改めて言われてみればあるかも……」みたいな。
⑧動画を見てるからと言って実際にそれをされることを望んでるとも限らないと思う。

 

あと「できるか?」って定義はどういうことなんだろう?

 


はい。繰り返しますがこういった疑問をぶつけるのは元の論文を読んでからすべきです。読まずにやっている時点で私が思う「暴力」や「モテ」でやってしまっている。各々の論文で書かれている概念を投稿者が「暴力」や「モテ」という言葉に集約したのなら、それがどういった概念なのかをまず明らかにしないと、同じ話題について喋っているはずが各々が違う話をしていたという事態になる。

 

ただ、これは僕の思ったことですが、創作の受容と実際の体験は行為として別種のものだと思います。「女性がレイプされる」というAVを見る男性が女性に感情移入することは全然ありえることだと僕は思ってしまいます。逆もまたしかり。

 

さてここで突然ですがしばらくの間、上で書いた疑問を全て忘れます。そのうえで“「女性は暴力に性的な魅力を感じ、暴力的な人格を有する男性がモテる」ということ”が仮に「事実としてそうなっている」とします。





忘れました。OK、理解した。そのうえでもう一度「女性は暴力に性的な魅力を感じ、暴力的な人格を有する男性がモテる」という文章を見たときに僕が思ったのは「暴力に性的な魅力を感じ」るとはどういうことだろう?ということです。

 

たしかに「暴力的な人格を有する」ように見える「男性」が異性との恋愛もバリバリだなあと感じたことが過去僕にもあります。だから文章の後半部分は「そうかもしれないなあ」です。

 

ただ「暴力に性的な魅力を感じ」るという事態がわからない。男性がえいやそいやって殴り合いをしていると女性の心の男根が勃起するのでしょうか。男に殴られることそれ自体が女は気持ちいい?そうなの??なぜ????why?????
ワイジャパ(why japanese people)みたいに言うならワイウマ(why woman)状態。
ワイジャパという略称はこれで教わりました。

note.mu


「暴力に性的な魅力を感じ」るってどういうこと?暴力即トキメキ?なにそれ?それってどういうこと??

じゃあモテたいと思った人がこの記事を読んで、よし明日から「暴力」をしよう!ってなっても、なんかダメな気がする。例えばさ、僕が明日から自分のぬいぐるみを毎日たくさん叩き続けてもぬいぐるみがただ僕を見つめてくるだけでしょう。ちゃんネネ。相手に対して「暴力」を振るえば?でも明日から女性の友人にいきなり「ばか!」ってLINEを毎日送ってもダメでしょう。会うたびにビンタするようにしてもダメでしょう。同じ「暴力」なのに……

 

どんな「暴力」なのかわからない。「暴力」がどのような場面を作り「性的な魅力」に至るのでしょうか。こういったことを考えてるうちに1つ思い浮かびました。

 

 

僕は人が自分の心と身体を守るために暴力を使っていると感じることがあります。自分自身日常生活でストレスを溜めこんで心が荒んでいるときほど、イライラしがち(=周囲に攻撃的な感情を抱きがち)です。自分の心に余裕がないと、幼い子どもみたいに不快な感情に振り回されてしまう。

 

だからなのかわからないけど、暴力にはある種のいじらしさがある。その人の幼さが見えるときがある。どうにもならないがゆえの暴力に感情が揺さぶられることがある。

 

また暴力を振るう人が見せる独特の寂しさがある。暴力の裏には、その人の心の穴がある。心の穴を見せないために振るう暴力が、逆に心の穴の存在を際立たせる。

 

他人の心の穴が垣間見えたとき、それがその人の「本質」であるかのように錯覚してしまうことがある。コンプレックスの開陳は親密な関係を築くのに繋がることがある。

 

人の「本質」が見えると、その人のことを本当の意味で「理解した」気になってしまう。そして、その人のことを「愛おしい」と感じてしまうことがある。

 

 

これが「暴力に性的な魅力を感じ」ることなのかわからない――なんか違う気もする――けど、こう整理すると暴力的な人のことを好きになっちゃうということがわかるような気がしてくる。暴力の裏にその人の「本質」を見つけ、それを「理解した」気分を「愛おしく」感じる、この感覚を「好き」と呼ぶなら(同意するかは別として)「ふむ」と思う*1

 

もちろん、実際に暴力を受けた人からしたらこれは考えられない感覚であるかもしれない。「暴力」的な人のことが好きな人からしたら、別の感情のあり方に「好き」と名づけているのかもしれない。それはこの種の「好き」と違う「好き」であるということ、それだけです。

 

「暴力」的な人のことが魅力的に見える理由、ほかにもまだまだあるだろうなあ。

*1:思うと同時にでもこの種の「好き」から我慢大会始まりがちだよなあとも思った。

鬱かな?と思ったら

もうはっきりと覚えてもいないのでそれ以前から少しずつそうだったのだろうと思うのだけど、記憶にある限りでは今年に入ってから鬱っぽい症状が顕著に出るようになった。具体的には


家にいる時間で何もできない
ご飯を作る気力が出ない
ご飯食べても味を覚えてない・満足感がない
人からの連絡を返せない
趣味に触れる気が起きない
長い文章or論理的な文章が読めない
ずっと寝てる
起きてる時間はスマホ見るしかできない
シャワー浴びる気になれない
夜眠れない
朝起きれない
便秘っぽい

 

1月2月頃は本当に酷くて体に蕁麻疹出てきたりして、メンタル的な不調がフィジカル的な症状として出てくることがこれまであまりなかったので本当にヤバいと思った。

 

ただ自分は昔から学校に行けなくなるほど酷くなる前にストップがかかるタイプで、今回も大学やバイトに行けなくなるといったことはなかった。症状も他人と比べたら軽いほうだったのかもしれない。実際、今までのところ医者に看てもらっていない。ずっと低空飛行でやっていってる感じ。

 

ただストレスフルだったのは事実だ。Web上で出来るストレス度の診断のようなものを春にやったが、1~4が「普通」5~9「そこそこ」10~「ヤバい」というので21点という数字が出てきたときは驚いた。もう細かく覚えてはないが、心からやりたいわけではないがやりたいと思えるような類のタスクを何個も抱え込み、自己満足しか慰めがなかった生活は苦しかった。

 

3月に入り就活が始まった。当然良くない状況だった。@holysen にサークルのことを任せたり、参加している団体でのやるべきことも放置したりするようになった。研究と就活だけやろうと意識していたと思う。親密な会話をする時間はほぼなく、心は荒んでいたはずだがなるべくその荒野に立ち入らないように目の前の就活と研究をやっていた。そのせいかわからないけど、人と仲良くなる方法(これまで自分がどうやってきたか)が少しわからなくなってしまった。

 

ただ就活と研究は進んでいた。最初は何もわからず丸腰で挑み当然のように落とされていた就活だが、ちゃんと真面目に対策するようになった5月以降は少しずつ前に進んでいった。研究のほうは自分が学びたかったことが学べること、自分の中で使える知識が増えていくことが楽しかった。

 

そういったパブリックな面の達成感はやはり鬱っぽい症状に効いただろうと思う。やや悪い、がかなり悪いになってしまうのを防いでいたと思う。と同時に、細かい部分でメンタルに効いた取り組みもあった。


①野菜を食べるようにした。コンビニでサラダを買うようにした。ビタミンやミネラルといった「体に良さそうな栄養」をとりあえず摂取する。目に見えて良くなったわけではないけど、見えないところで働いてくれてるといいなという気休め程度の期待で。ただ、太ってることがコンプレックスな自分にとっては、こういう食生活で体重が減ることは嬉しいのでその効果もあった。

②用事を休んで何もしない日を作る。これはなかなか大きかった。難しいかもしれないが勇気をもって休むこと。数十年という規模で考えたら1日ぐらい無為にしてもいいでしょって自分は思っちゃう。

③体を使う動き。つまり運動のことだけど、肉体的な疲労感はなぜかメンタルによかった。散歩とかでも十分えらい。

④詩やエッセイ、音楽を摂取する。ダメなときには出来ないことなので出来なくても仕方ないが、それでもやはり自分の心を慰めてくれる文章や音楽があってよかった。

⑤交代浴。最近あらゆる人に勧めている。サウナと水風呂を交互に入るのを繰り返すやつ。水風呂後に少し休みを挟むのをヤバくなる前にするのが大事。高みに行くことが目的なのではなく、あくまで自分を癒すのが目的。自分は数年前から気が向いたときに銭湯に行っていたが今回の鬱的症状に対して劇的に効いたのはこの交代浴だった。一番効いたのは東京の高円寺にある小杉湯。小杉湯はサウナがないが熱いお湯と水風呂の交代浴が本当に気持ちいい。誰もが一度は経験しておいていいと思っているので、今も会う人会う人に勧めている。東京に行ったときはほぼ毎回行くようになった。

とりあえず小杉湯については以下のブログ記事がちゃんと紹介しているのでお勧めです。

travel.spot-app.jp

 

小杉湯の紹介は僕が書くより上の記事らを読むほうが効率がいいので、僕は小杉湯が一番効いたときの日のことを書いておこう。かなり志望度の高い会社の最終面接の一段階前の面接の日だった。面接官は説明会でも喋っていた人で、そのときからこの人は学生にフェアな態度で接してくれるタイプの人だと思っていたので、最後に自分の受け答えはどうだったのかを正直に聞いた。その人は僕が考えながら喋っているように見えたこと、そのせいで話の構成がぐちゃぐちゃしていてわかりにくくなってしまってること、だからこれから先の別の面接では結論から話し始めるのを意識したほうがいいということを言ってくれた。その通りだなと納得してしまった。面接が終わってエレベーターに乗ってるときに、つまりこの会社は落ちたのでは……と思い始めた。今回の面接は途中で自分の想定より細かいところで質問をされて「どちらとも言えない」みたいな微妙な受け答えをしてしまった部分があった。最後に聞いたアドバイスがそのことを指して言ってたとしたら面接官もそこが印象に残ってしまったのだろう。完全に落ち込んでしまったが、今日はこれから小杉湯に行く予定をもともと立てていたので、気持ちを切り替えるためにも高円寺へ向かった。
小杉湯は高円寺駅から歩いて行ける。とりあえず交代浴しよう、今はこれだけをしてればいい、と自分に言い聞かせてひたすら体を洗い、湯船に浸かる。水風呂は入ってしまえば温まった体が優しく包まれて、皮膚と水の境界が溶けていく。2,3回目ぐらいから水風呂に入ると頭の重石が剥がされるような感覚がしてくる。出ると腕や脚がじーんと痺れてきて、体が軽く感じられるようになる。最初気づけなかった香り湯の匂いが途中から感じられるようになり、自分の感覚が研ぎ澄まされているのがわかる。
その日もそういった気持ちよさに包まれながら、面接で上手く答えられなかった質問について考えていた。そうしたらある瞬間にこれだ!と思える綺麗な回答が浮かんできた。思考回路がパチッとはまった感覚。高校生ぐらいまでの自分が持っていたようなエネルギーを感じ、自分は大学生になってからずっと概ね不調だったことに気づいた。やる気に満ち溢れた自分は、思い浮かんだ考えを伝えたいと思った。このまま終われない、ダメ元で電話して言ってみよう、と決意してそれからどう言うかを考えて交代浴を繰り返した。普段ならこの後着替えたりしてる間に冷静になってやっぱりやめようってなるのだけど、今回はそうならなかった。そうならないほど、自分の心は前向きだった。それで小杉湯を出て電話しようと携帯を見たら、結果が届いていた。えーっ!!って思ったけど、落ちていても電話しようと思い直して見てみたら「最終面接の案内」だった。やったーーー!!!小杉湯最高!!!最終では今練り上げた考えをちゃんと伝えるぞって思いながら帰りました。

 

 

 

余談ですが、こういう調子が悪いときに推しに会うことはある意味賭けだなあと思った。推しから元気を貰える側面はたしかにある。僕も調子が悪いときに救いを求める気持ちで推しの現場に癒されに行った。でも、中には推しの現場に行っても以前のように楽しめない自分がいました。心に余裕がないから上手く喋れず申し訳ない気持ちになってしまう。推しに限らず、自分にとって身近な人ほど甘える気持ちでぞんざいな態度(例えば連絡を返せなかったり)をしてしまい、相手に申し訳ない気持ちが募ってますます自分を追い詰めてしまう。自分を大切に思ってくれる人がいることが自分を慰める、と同時にそういった人に対してこそちゃんと接することが出来なくなっている自分が申し訳なくなり、自己肯定感の負のスパイラルを進めてしまう。これはとても難しい問題。

ブログもうすぐ作り直すかも

 

人を傷つけないように生きてきたが、それはできていなかった。

結果的にかなり他人に対して有害な人となってしまった。

 

思うにやはり幼少期の経験が今の私を作り上げてしまったのだ。

幼い私は家族の中で必死に居場所を見つけようとしていたのかもしれない。

 

幼い私は姉にいじめられ、クラスでも軽いいじめ、被害妄想にとらわれ、自分のやりたいことなどわからず、日々言われたことに従事していた。

親からは、少し無視されながら育った。寂しくてよく外出して道を歩いているときに、物陰に隠れて自分がいなくなったことに気づくか試していた。

本当に迷子になったときは死ぬほどつらかったから、絶対に迷子にならないようにスーパーの棚とか、親の行動とか、色々よく見るようになったと思う。

親から怒られたときによく拗ねて別の部屋に逃げ込んだ、ら、母親が心配して様子を見に来たことがあった。そのときの優しさが嬉しかった。だから何回も別室に行った。たまに家を飛び出して玄関先に裸足で棒立ちしていた。でも、少ししたら棒立ちに飽きちゃうし、自分が悪かった気がしてくるし、お腹は減るし、親は来てくれないし、だから、リビングに戻ることにした。そしたら家族はリビングでせんべいを食べながら笑点を見ていた。家族は私抜きでも普通に成立していた。後で、母親に幼いころの私のことを聞いたら「手のかからない子だった」と言われた。つまりいい子で育ってくれたということだから、嬉しいのだけど、今思うと少し寂しかったよ。

 

母親は、家のものが壊れていたり、汚れていたりしていたとき、よく私達3姉弟を一列に並べて犯人捜しをした。誰がやったのか、名乗り出るまで夕食を作ってくれない。何より、母親が怒っている姿が怖い。それなのに誰も名乗り出ない。仕方ないから「本当は私がやりました」って嘘をつく。そうしないと私がご飯を食べられないし、怖い時間が早く終わってほしかった。嘘をついた後に「なんでそんなことしたの!」とか「こういうことしちゃいけないでしょ!」みたいに叱られたと思うのだけど、その部分の記憶はほとんどない。あとになってあれは実は姉がやったことだったということが何回かあった。

 

小さい頃、私のニンテンドーのゲーム機が壊れたことがあった。画面が割れてしまった。泣いた。自分で割ったわけじゃなく、家の中で置いておいたはずのものが、割れていたのだ。誰がやったかわからなかった。その日はものすごく泣いたし、かなりの一大事だった。数日たってから、机に手紙が置かれていた。姉から「私が割っちゃったんだ。ごめんね。」って。いや、許せないよ。でも、こんなのされたら許さなきゃいけないじゃん。もう何日か経って落ち着いてきちゃってるのだし。親には内緒にしといて欲しいって書いてあった気がする。もう何から何までずるい。

 

姉に対しては、仲良く遊ぶか、向こうの怒りをぶつけられて私が泣くか、だった気がする。喧嘩はいつも負けていた。向こうのほうが勢いがあった。

弟に対しては、仲良く遊ぶか、こちらが怒って泣かせてしまうかだった。泣かせたあとは私がいつも怒られた。小学1年生のときに授業で詩を書くことになったが、たしかそのときに書くことがどうしても思いつかなくて「弟はクソだ。いっそ死ねばいい」という内容を書いた詩を提出した記憶がある。担任はどういう思いでこれを読んだのだろう。

一番上の姉は、親にとって初めての〇〇が多く、大切に扱われていた。一番下の弟は、一番下らしく家族全員から可愛がられた。私は真ん中で育ったから、親から直接愛された記憶が少ない。束縛されてつらいみたいなのはないが、私が感じる愛はいつも自由にさせてくれる愛だった(と思う)。父親に何か不満を言うと「じゃあ後で良いことがあるよ。」と言われたが、それはその場を流すだけの言葉だった。たとえ幸運で何かを手に入れたとしても、それはほしかった愛ではなかった。

 

 

みたいなこと言ってますけど、全然愛されなかったわけじゃないですよ私。

私の中学時代は珍しく勉強できる人たちとリア充グループが適度に重なる感じがあって、その中で私は男女のグループで楽しくやっていました。部活も3年間めいっぱいできたし、恋愛だってできました。好きな人とメールでやり取りして、一緒に学級委員やろうよと言って、一緒にやったりしちゃったし。教師ともいい関係でしたし、傍から見たら恵まれてますよ私は。だから別にいいんです。こっちで良いことあったから。家族は自由にやらせてくれた、それだけでもう十分なんです。

少し、いや、半分の不思議。

殺した春は戻ってこない。散った桜は戻ってこない。

毎年同じように咲いてるけど、あれ、違うらしいよ。

冬の間、あれだけ待ち望んだ春が来てるはずなのに、なんで吐き気がするんだろう。

また殺さなきゃ。ごめんねみんな。僕は冷たい人間だ。

 

鐘が鳴る。お祝いの鐘が鳴る。永遠に生まれ変わろう。

僕は悲しいふりをしている。

頭痛薬とコーヒーと、ガムとチョコレート

ダメになってもいいんだよって自分に言ってあげてる

でもダメになった私にけりをつけるのも自分だしダメになってもしょうがない

何もない、みたいな気持ちになる。

どういうときにそうなるのかわからないけど、寂しいだけ?

意味がなくていいけど、それをどうするんだろう

 

どうやっていればいいかわからない

わからないことしかない気がするわかってることは見えなくなっている

もっと私に

 

自分の気持ちに見て見ぬふりして生きていけてしまうインターネット

インターネット・インターネット・インターネット

自我がないアカウント

未だ何も見えてこない自分

自分に囚われている、ようで何も考えていない

考えているようで、ないものはない

自分が何を考えているか恥ずかしがらずに言える?

自分が塞ぎ込んでいる気持ちを私は本当にそれをいつでも解放できるのか

 

殴るのは駄目って殴れない人が言ってる

 

全てを諦めても生きていかなきゃいけない

生きていれば美味しいものが食べれるよ

粛々と、淡々と、感情を殺す

 

殺した感情は元に戻ってこないよ

団地

何を言っても意味がない。

意味のある言葉を吐くには、意味が生成される場で言葉を使用しなければならない。

インターネットは、大抵意味が生成されない場である。

というか、インターネットは何も考えずに発言できてしまう。電源ボタンを1回押す、別のタブを押す、たった1STEPで意味を生む行為をやめて、切断できる。

現実世界なら、面と向かって話してる時であれば、表情(face to faceを崇めるの頭悪そうなんだけど)や行為が意味を生み続けるわけで、言葉に対して責任がある。

インターネットはそうじゃない。それが良いとか悪いとか、ダメとか言うんじゃなくて。

 

意味ってなんだ

 

 

 

 

箱を入れた箱

運ぶだけの箱

叩く箱

 

止まる

 

 

インターネットがキレイだったことなんて1回もない

君はいつもきれいだよ

頭に浮かぶ言葉を次々に打ち込むことだけが気持ちい、それはまるで舞台に自分だけが立って惨めにかっこ悪く四苦八苦もがいているよう。

海におぼれかけている君はきっととても美しいのだろう。世界の何より君がきれい、なんて言わないけど、きれいだよ。

 

 

美しい瞬間を切り取るな

酔うか酔わないかはっきりしろ

 

さすがに適当すぎない?ちょっと、いや、かなりイライラした。