文章と色々で

何を書くかはわかりません

一人称が変わるブログ

見たいものや読みたいものについて

 

いわゆる教養って言われる系の作品やらって見て/読んでおくことが望ましいやつだけど、「望ましいからする」って態度で始めるとそれって消費でしかないんですよね.

オタクカルチャーとか、このアニメ見とけってやつをちゃんと見れるかどうかって凄く重要で、僕はそういう消費だけの行為が出来ないときがある.

何か手元にいつでも見れるようにしておくけどいつまでも見ないみたいな状態が多い.

 

その気が起きたときにすればいいって思っちゃってて.

何が言いたいかというと、消費のためだけを動機にするんじゃなくてちょっとでもそれがしたいって気持ちが生まれたときにしてやろうって思っています.

そういう態度の表明.

 

あと、別に教養なくてもいいじゃんって思う.

あった方が会話が面白くなるのは間違いないけど、知らなくても会話って出来るし.

失敗したくないという気持ちに囚われがちだけど、別に失敗しても世界は続くし.そういうルートに分岐するだけで別にゲームオーバーにはならない.

恥ずかしいとか死にたいとか思うけど、そう思うことこそが人間って気にもなるんだよな.いっさいそういう感情を持たない方向で動いてきた人ってそれはそれでいいとも思うけど、私は別にそういう感情持っても仕方ないやって思ってるよ.

 

“未来には期待したいし”

 

 

アイドルとオッサン

地下アイドルはもともと蔑称ですから、もっと別の言い方、インディーズアイドルとか?を使って欲しい人もいる.ファンでも、アイドル本人でも。

アイドル界隈には変な用語がたくさんある。最近知ったのはピンチケ。

なんか、AKBの学割のチケットがピンク色だったとかで、そういう若い人の中には調子に乗る人間が多くて、素行が良くない人のことをピンチケって呼ぶようになったらしい。そして今ではピンク色のチケットでなくても若い人のことはピンチケって呼ぶ、のかな。知らんけど。たいていピンチケっていう言葉を使うと悪いことをする若者ってイメージ。なんかゆとりって言葉みたいだ。地下アイドルのイベントに行くと40歳以上のオッサンばっかだ本当に。だから若者が来るとアウェーだ。なんで来てるのって空気を感じてしまう。たぶん女性ファンが少ないアイドルのイベントにふらっと女性が行っても同じこと感じると思う。最近そういう空気を感じてしまってなんかつらくなったことがある。つらい、っていうのは僕が居た堪れない気持ちになるのもあるのだけど、別の気持ちもある。きっと、オッサン達にとっては若者が来ると何をしてくるか分からないという気持ちがあると思う。何をしてくるか分からない、何考えてるか分からない。なんでここにいるの?もしかしてオッサンのこと笑いに来たの?そんな、怖い、という感情で表せそうな気持ち。そういう思いをさせているんじゃないかという加害者意識からくるつらい。そんな気持ちが生まれてしまう。自意識過剰なのかもしれない。最近そうだ。

 

 

 

 

 

 

はー急にやる気なくなった。こういう文章書いても何か陰でドン引かれてる気がしてきた。俺のこと嫌いな人間がたくさんいる気がしてきた。「私のこと嫌いな人が私のこと嫌いなまんま生きていけばいいのに」みたいな言葉も何も意味ねえ。全部クリシェ。はい。本当はさ、もっとちゃんとしたブログ書けばいいのかな。例えば、こんなつい消しがある、みたいな分類記事とか。もっと何か1つのテーマでちゃんと書けるような、強度が欲しいと思うけど、それが出来ない自分がダメだ。あ~~~って気持ちになる。

 

最後にタイトル決めたので、また書き直すかも。

 

動きの自己啓発

例えば部屋にポスターを貼る、とか

放置してる本を本棚にしまう、とか

床に落ちている物を片付ける、とか

食器をキッチンに持って行く、とか

読もうと思った本を実際読む、とか

そういう、実働に5分とかからない作業をちゃんとする、ということ

なぜこれが出来ないのかは、考える必要がある

気力と言っている多くのことがこういうことになっている

 

「なんか、精神的にダメになった時って一切本読めなくなって」

「しかも最近それがずっと続いててダメなんですよね」

ADHDの検査やってる医者に行って一回検査受けてみるといいですよ』

 

きれいなものを見てきれい、って本当に思ってる?

愛とか言って誤魔化していない?

良い言葉を使えば自分に徳ポイントが加算されて、いつか幸福、として返ってくる、なんて考え。世界はそうやって回っています。そういう思想を持っています。そういえば父親は、僕が姉弟に比べて理不尽を被っていることを訴えた時、決まって「じゃあ今度良いことあるよ」とか言ってた。それですよそれ。つらいことの後には良いことが待っている。そんなの、小学生の道徳の授業みたい。もう通信簿は卒業したよ。

もう永遠に、次は聴けない音楽と、すれちがいたい。それなら好きになったりなんかしないで、ただ純粋にきれいって、言えるはずだった。 

 ちゃんと生きていればいつか幸せになれる。幸せなんて自分で決める。俺は今が幸せだよ。時間が止まってしまえばいいのに。いつもそう思っている。2年後僕はどこにいるだろうか。2年後の自分は何をしているのだろう。2年間糠漬け作ろうなんて言わないよ。

 

就職活動ってめっちゃキモくないですか?

自分を出すとか「は?」って感じ。代打なんていくらでもいて、別に誰でもいいから僕を使ってくれって感じ。僕にしか出来ないことなんてない、っていうのが重い思いです。

そんなことはなくて、

人と対面した時に何を言えばいいのかわからなくなってしまうことがある。

言ってしまえばよくいるコミュ障にありがちな現象に思える。でも現状、そんなことはどうでもよく、僕はこの現象を解決したい。解決しなければいけないような気に囚われているから。だって人と会話出来た方が楽しい、多分。

 

会いたい人はたくさんいる、し、僕自身話せない方ではないと思っている。

適当な返しだって出来るし、相槌とかはある程度身体にしみついた、コミュニケ―ション術みたいなものも自分の中にある。

でもこういうのが自由自在に出てくるわけではない、というか、人と話す時ってそんなのあっても意味ねえよって最近思ってきている。

具体的に言うと、サシオフを想像してみる。

「あの、――さんですか?」

「あ、△△さん?」

「良かったー。そうですー。こんにちはー。」

「こんにちはー。」

この後、自が何を言えばいいかわからなくなる。え、どうしてんのみんな。

会話がいつからか窮屈になっていたかもしれない。沈黙してしまう。黙ってしまう。

まあ、いいんですけど。僕はいいけど相手がね、それで相手が居心地の悪さを感じていたら嫌じゃん。自分に時間割いてくれてんのにブルーな気持ちさすの嫌じゃん。

どうしよ、何か話さないと。何がある。えーっと、そうだな、こういう時は外見の話題を聞いてみたらいいかな。ああ、でもコンプレックス刺激したら嫌だな。上手く相手の“チャームポイント”っぽいところ探さないと。

「あ、身長高いんですね~呟きのイメージで低いかと思ってました~」

「呟きのイメージで身長わかるんですか?笑」

「あ、はは、そうですねw勝手なイメージですけどw」

―――――会話終了―――――

TAKE2

「あ、洋服の柄素敵ですね~どこで買ったんですか?」

「これ古着なんですよ~」

「あ、そうなんですねー」

――――会話終了――――― 

 

みたいな感じで喋ってしまった時、それは場を繋げるための言葉であって、本当に柄が好きとか思って言ったわけではない。柄は好きだよ。好きな柄なんだけど、“あなたが着ている服の柄が凄く好みで良いと思った”から言ったわけじゃないんだゴメン。多分あなたが他にアクセサリーでもしてたら話題にならなかった程度の良さだよ。ごめんね柄。

僕はそうして、あれ?自分で話題振っといてアレだけど、さしてその柄好きじゃなくね?って思ってしまう、というか、どこで買ったとか、いくらしたとか、こういう柄は実はどこどこのなにがしがそれあれでね、、、みたいに相手が喋り始めても、その話題には既に関心が薄れていたりもしてしまう。どこかで言ったかもしれないけど、話題を振った時点でその話題への興味が薄れているんです。これってひどいよね。キャッチボールしよーって言ってボール投げてきたくせに、投げ返そうとした瞬間相手は別の方でサッカーしてる人達の動きに夢中になっているみたいな。喩え下手だな。

でも、そういうことがあるんです。これけっこう深刻な悩みで、人と会話してても、どっか窮屈に感じてしまう。

僕は嘘を言ったわけじゃないよ。本当に良いと思ったんだけど、それってCM曲のCMに使われている部分しか知らないような歌手の良さを語られるような、自分は本当はお菓子の話をしたいのにそれを聞かせられてるような(しかも歌手の話題を振ったのは自分!!!)、そんな気分なんだよ。だから誰かに迷惑かけてるんでもないし、かと言って僕に迷惑してるかと言うと、そんなことはなくて。語ってくれるのを聞くのも好きだよ。嘘じゃない。

 

ひどいのは、ボールが見当たらないとき。

相手に何を喋ったらいいかわからなくなったとき。

高校生の頃、中学の同級生と駅前でたまたま会ったことがある。

彼女はスクールカースト上位系女子で、でもサッカー部だった僕は彼女と何度か遊んだことはあったし、そんなわだかまり的なものもなかったと思う。思いたい。いや、思いたいんだ。信じておこう。

で、すれ違うみたいにして会ったんだけど、中学卒業以来会ったことないからお互いすれ違いざまに顔を見て「あっ!」ってなったんだよね。

僕は驚いたし、会って「えー最近どう?」みたいな会話するもんだと思ったから、(驚いた8、会話する2ぐらいのスタンスです)つい立ち止まってしまったんだよね。

「おおー」みたいな。そしたらその後特に言葉が出てこなくて、そしたら向こうが「え、何か用?」「あー、いや、別に・・・」「ふーん、そ。じゃ」「うん、じゃ」ってなってまた歩き出すことに。という記憶がありまして。

そういうので、既に話題出せてないじゃん!って思ったけど、何かその経験がけっこう印象的でした、そういう話です。ちゃんちゃん。

ではなく、相手に何を話せばいいかわからなくなった時、黙ってしまう。これはどうしたらいいのだろう。わかるよ、黙っていても心地いい相手がいることくらい。別に沈黙が苦にならない関係性だってあることに。でもさ、そんなのめっちゃ少ないじゃん。大抵緊張しちゃうじゃん。相手と会話しないとって思うじゃん。その辺難しいですよね。別にそういう関係じゃないから信頼してない、とかじゃなくて、その辺は相性みたいなもんです。

話題が出なかったとき、僕はどうすればいいのか、多分もう少し考えないとわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘です。こんな考えて会話してません。

雑記

生活リズムの崩壊著しい

19時~23時のどこかで2,3時間ほど寝たり、

ダラダラとTwitterやデレステ/艦これしながら

「あーこれやったら風呂入って片付けて読書してレポート書こう」とか考えている。

(結局やらない)

 

変に“夜”に寝てしまうので、深夜に眠れない。

最近はその時間に映画を観ているせいもある。

TSUTAYAで5本レンタルするとお得ですよって言われたから

3本だけ借りようとしていたところを、さらに2本増やしたのに

まだ2本しか観てねーよバカ

25日が返却なんだけどこれって26日の営業開始時間までに返せばいいんだっけ。

後で調べよ(こういうタスクとも言えないような、10分で終わるようなことをしないから部屋がどんどん汚くなっていくし、色々と生活が滑らかになれない)

24日だけどバイトあるから夜中連続で一気に観るしかねーなこれ

つらい

 

で、深夜眠れなくなる話に戻る。(戻るんかい)

深夜眠らないと5時くらいまでいける。

6時を過ぎてから眠くなってきて少しだけうとうとしてしまう。

で、気づいたら8時で慌てて大学に行くんだけど

そうすると、一日中眠い。

だから最低限板書をノートに写すとか、そういうことは頑張ってやるんだけど(ここらへんは高校生の時に眠くても力の限り授業を受けようとしていた経験値がある)残り、少し喋りの間があいたりすると、すぐ寝る。で、起きて急いで板書写す。それの繰り返しだから授業受けるの疲れる。疲れるのに他の人より授業で得られたものが薄い気がしている。

変えなくてはいけない

 

早くシャワー浴びてこなきゃいけないのに、ここ最近の生活について書きたくなって書いてしまった。

衝動的な行動をまたしてしまった。少しは理性的に合理的に事を為さないとダメな気がしている。

本当は食生活とか、普段大学行ってどんな感じで過ごしているとか、忘年会どうだったんかとか、書きたいことはあるけど、合理的に考えてそれは後で良くて、今はシャワーを浴びることを優先すべきなんで、ここで終わります。

バランスが大事っぽい気がする。

 

・・・・いや正直過去の記事とか、これだって、後から見て恥ずかしくなるなんてわかってるけど、書いておきたいじゃん・・・!!

黒歴史は忘れ去るのがいいって、そこまで単純ではないと思います

 

 

姫乃たま『潜行』を読んだ

姫乃たま『潜行』を読みました。

やりたいことは後半部分なので活字が苦手な人、時間を割く気があまりない人、はどうか後半だけでも読んでください。(適当にスクロールしてもどこから後半なのかわかるようになってます)

 

アイドルという存在あるいは現象について、少し興味があったのもありますが、

この本を手に取ったもう1つのきっかけは寺嶋由芙というアイドルを僕が推していて、その子の対談がこの本に載っているというのが知ったというものでした。

(寺嶋由芙というアイドルは本当にエゴサがヤバい

Twitterで「ゆっふぃー」と愛称が入ったツイートをしたら必ずふぁぼられる)

 

「地下アイドルの人に言えない生活」という副題の通り、本の内容は地下アイドルというジャンルについて、地下アイドル本人による考察である。

最初は彼女本人が見聞きした地下アイドルの実態が書かれている。

なかなかにえぐい内容で、地下アイドルとファンのオタクや関係者との枕営業、愛人契約、衣装を売ること、等。

もう使わなくて捨てるつもりのパンストを3万で売ってくれ、というオタクは間違いなくキモイんだけど、そう思うと同時に売れないアイドル側からすれば500円やそこらで買ったパンストが3万円になると聞いたら揺らぐだろうなあと、どうしようもなくやるせない気持ちになった。

闇の部分、というか、本当に気持ち悪い世界だと思った。

(と、同時に気持ち悪く思う対象なるオタクや関係者に対して「こいつらは自分の承認欲求とか性欲とかとにかく欲望満たしていて羨ましいずるい」という嫉妬心が少なからずあるのも自覚しているから本当につらい話だった。や、違います。違います。僕が性欲にまみれているとかそういう話じゃないんですって。・・・ああああああつらい。つらくなってきたぞ。これじゃブログ読んだ人が僕のことをキモイと思うじゃないか。僕はそういうこと思っても行動しませんからね。あ、違う違う。そもそも思いませんからね。常に理性が勝ちますからね。そんな思いは生まれる前から死んでます。信じてくれ(声が裏返る)頼む。俺は大丈夫。安全だから安心してこれからも会話してください。今「会話」って打つのに4回ぐらいq押しちゃって「かいくぁ」とか「kくぁ」とかなった。だいたい本気で嫉妬心とか性欲とかを思っていたらそんなの書かないから。書いたら恥ずかしいもん。普通書かなくない?性欲があるとか嫉妬しているとか。そういうのをこんな公開記事に書いている時点で察して欲しい。こんなに長々と書いてもはやネタとして扱っていることに気付いてくれ。頼む。信じてくれ。)

 

続いて対談と座談会がある。寺嶋由芙というメジャーシーンに、いわば地上に出たアイドルと地下アイドルであり続ける姫乃たまの対談。ここが一番読みたかったんですけど、白黒写真が良かったです。あとゆっふぃーがファンを「オタク」と呼ぶことや、アイドルがオタクをキモイと思っているわけではないということを知りました。

(そもそも顔が良くてアイドルやっている女性が必ずしも見た目で人を判断する人って決まってないよな。当たり前のことだった。)

 

次からが本題なのか。「さとり世代の地下アイドルステップアップ論」という題が付けられているこの章の内容は自身の地下アイドル歴の振り返りと、地下アイドルがどうやって地下アイドルしているかについて。知らない業界の話って興味出ますよね~。

それより、今大学を卒業している姫乃たまがさとり世代という語を使っていて、自分ってさとり世代なん?って気持ちが出てきたんですけど、どうなんですかね。悟りたい。悟って遁世したい。遁世して高等遊民になって、なぜかお金を大量に手に入れて、毎日衝動的に美味いもの食べては美味い酒を飲んでスタバに行って本を読み、古本屋や丸善書店で本を買い、突発的に旅行をしたい。お金が足りない。ある程度まとまった金がボンと欲しいし、宝くじが当たれ。買ってないけど。

 

メインはこのステップアップ論と、その後の対談(2)を挟んだ次の「わたしのアイドル観察記」なのかな。観察記の方が僕は読んでて好きでした。内容上手く言えないけど、こっちの方が姫乃たまの主観的な言葉がある、気がする。上手く言えないから断定も出来ません。

 

本題というか、ブログを書きたくなったのは、本の中で引き込まれた言葉を載せておきたかったから。

(文字が立つようにしたのは上からシャーーとやってきた人がわかるために、です)

これ以降の言葉は基本的に本文の引用です。僕の言葉は奥ゆかしげにしてます。

 

地下アイドルは舞台に立った瞬間、観客に共有されて、熱狂に包まれます。熱狂はその中に、地下アイドルの承認欲求や、ファンの認知欲求などを孕んでいます。

 

ひとりの女性を複数人で共有する際に、こうした熱狂が生まれる例は、ツイッターや、「のぞき部屋」の空間、「オタサーの姫」現象にも見られるため、これらと地下アイドルライブの共通項を探りながら、地下アイドルのライブが、彼女達の価値を高める空間であることを書き出していきます。

 

オタサーの姫と地下アイドルの違いについて姫乃たま

それで実際に私も両者の違いについて考えてみるのですが、これがわからないのです。むしろ、考えれば考えるほど似ています。「あんなにちはほやされるなんて、サークル内でなんかしてるんじゃないの」という外部からの悪口の質まで含めて、似ているのです。

 

レスも認知もチェキの枚数も含めて、ファンの欲求は地下アイドルのライブで昇華されているようにも思うのです。

 

「幻の近代アイドル史:明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記」(彩流社)には、当時、浅草オペラに出演していた女性に関して「歌もダンスも下手なのに、どうして人気があるのか。なぜ人気を得ることができたのかとなると、舞台から観客に対して媚を売っているとか、女としての武器を巧みに使っているとか、劇場の外でファンにサービスをして繋ぎとめているとか、そういった批判が繰り返された」と、ありました。

これは感心した。文脈的に大正時代の話なんだけど、アイドルという言葉がなかった時からこの「未完成さ」カリスマとかスター性を持った憧れの子じゃなくて普通っぽい子、同じクラスのあの子という存在に人気があったということ。

 

濱野智史という人に聞いた話を書いたところ。僕はこの人が誰か知らないけど、熱狂的アイドルファンで、アイドル事務所っぽいやつの運営みたいなことしてるらしい。

アイドルを応援する楽しさを「そりゃあ楽しいですよ。純粋にアイドルを応援している時の気持ちは、恋愛における片思いに似ているし。人は子どもを作らないといけないから恋愛に似た行為は楽しくなるようにできてますよね」と、説明してくれました。

 

スポットライトを浴びる職業だからこそ、不安定だった精神を、より濃い影として捉えられていた感覚はあります。

僕がこんな上手いこと言えたら多分今年一番のドヤ顔しちゃうと思う。あ、文脈読まないと伝わらないか。読んでみましょう。最後の方に書いてありますよ(今年30番台ぐらいのしたり顔)(ドヤ顔としたり顔で上手く文体を掛けられたことに30番台より上の順位のニヤニヤが出てきました)

 

 

 

・・・と、記録して参りました。

(これ以降は感想なんで数行飛ばして大丈夫です。最後にもう1個だけ引用して終えます)

読み終わって爽快とはしないけど、「承認欲求を得たい子」と「認知されたいという認知欲求を持ったオタク」という合わせ鏡のような欲望の満たし合いの構造があると知り、そして彼女がその隙間にまさに潜むように生きていること、うーん、上手くまとめられないんですけど、読んだ感想、知らない面を知った感じです。刺激的な授業の後の、終わった後に放心してしまうような、そんな気持ちかもしれない。少しニュアンスは違いそうだけど。でもアイドルとか承認欲求とか、そういうの読みたい人は読んだら、いいのか、な。いや、読まなくてもいいかも。ひっそりと読むぐらいかも。よくわかんない。でも、地下アイドルがよくわかんない人、イメージしかない人は読むといいと思います。新鮮です。2015年5月ぐらいの記事を加筆修正して載せてたりと、めちゃくちゃ最近のことまで書いているから、多分姫乃たまさんはめっちゃ頑張ってこの本を書いたんだ。だからその頑張りを、見よう。

 

最後の引用です。地下アイドルの闇を綴ってきて、自身も一時期過労で精神的に病んでしまった姫乃たまさんは、でも最後にこう締めてます。地下アイドルという文化/現象が自分の生きる世界とは違う次元の世界ではないと僕も思います。同じ次元で生きているということ。

私は地下アイドルだけに、特別深い闇があるとは思っていません。

 

ぬあああああっ

やる気の出し方とあるがやる気なんて出ない。

強いて言えば普段から自分を反省する。

また同じように携帯を弄っている、とか

また同じようにぼーっとしている、とか

また同じように寝転がっている、とか

そういう状況になったときにどうにかしてそこから変えてみること。

 

ということを、高校生の時に「家に帰ってから勉強が出来ない」問題に対してやっていました。

高校3年生の時、英語と化学の授業だけ通っていた予備校の自習室を借りるか

高校の自習室を使うか、で、帰って家に着くのが21時~22時だったんです。

そこで残って勉強している時っていうのは、提出物や課題を片付けているか

受験勉強のために自分で問題集やっているかでした。

(ほとんど学校の宿題か予備校の予習復習だった気がする)

なんで、家に帰ってから少しでも明日の授業の予習とかしてやろう、とか

授業でやっていなかったけど受験に必要だった古典とか地理とかやろう、って。

思っていたけど、帰るといつも携帯を弄っていました。パソコンでした。

そしてリビングでそのまま寝て、途中起きてシャワーだけ浴びて、そういった生活でした。

 

どうして家に帰ってから勉強出来ないのか。

 

 

あああ、面倒くさくなったんでやめます。

いつか書き足したいけど、面倒くなって後でやっぱり消すかも。

あらゆることに対するやる気が起きない。

柔らかく温かい布団に包まれていたい。

柔らかく暖かいものに包まれていたい。