文章と色々で

何を書くかはわかりません

姫乃たま『潜行』を読んだ

姫乃たま『潜行』を読みました。

やりたいことは後半部分なので活字が苦手な人、時間を割く気があまりない人、はどうか後半だけでも読んでください。(適当にスクロールしてもどこから後半なのかわかるようになってます)

 

アイドルという存在あるいは現象について、少し興味があったのもありますが、

この本を手に取ったもう1つのきっかけは寺嶋由芙というアイドルを僕が推していて、その子の対談がこの本に載っているというのが知ったというものでした。

(寺嶋由芙というアイドルは本当にエゴサがヤバい

Twitterで「ゆっふぃー」と愛称が入ったツイートをしたら必ずふぁぼられる)

 

「地下アイドルの人に言えない生活」という副題の通り、本の内容は地下アイドルというジャンルについて、地下アイドル本人による考察である。

最初は彼女本人が見聞きした地下アイドルの実態が書かれている。

なかなかにえぐい内容で、地下アイドルとファンのオタクや関係者との枕営業、愛人契約、衣装を売ること、等。

もう使わなくて捨てるつもりのパンストを3万で売ってくれ、というオタクは間違いなくキモイんだけど、そう思うと同時に売れないアイドル側からすれば500円やそこらで買ったパンストが3万円になると聞いたら揺らぐだろうなあと、どうしようもなくやるせない気持ちになった。

闇の部分、というか、本当に気持ち悪い世界だと思った。

(と、同時に気持ち悪く思う対象なるオタクや関係者に対して「こいつらは自分の承認欲求とか性欲とかとにかく欲望満たしていて羨ましいずるい」という嫉妬心が少なからずあるのも自覚しているから本当につらい話だった。や、違います。違います。僕が性欲にまみれているとかそういう話じゃないんですって。・・・ああああああつらい。つらくなってきたぞ。これじゃブログ読んだ人が僕のことをキモイと思うじゃないか。僕はそういうこと思っても行動しませんからね。あ、違う違う。そもそも思いませんからね。常に理性が勝ちますからね。そんな思いは生まれる前から死んでます。信じてくれ(声が裏返る)頼む。俺は大丈夫。安全だから安心してこれからも会話してください。今「会話」って打つのに4回ぐらいq押しちゃって「かいくぁ」とか「kくぁ」とかなった。だいたい本気で嫉妬心とか性欲とかを思っていたらそんなの書かないから。書いたら恥ずかしいもん。普通書かなくない?性欲があるとか嫉妬しているとか。そういうのをこんな公開記事に書いている時点で察して欲しい。こんなに長々と書いてもはやネタとして扱っていることに気付いてくれ。頼む。信じてくれ。)

 

続いて対談と座談会がある。寺嶋由芙というメジャーシーンに、いわば地上に出たアイドルと地下アイドルであり続ける姫乃たまの対談。ここが一番読みたかったんですけど、白黒写真が良かったです。あとゆっふぃーがファンを「オタク」と呼ぶことや、アイドルがオタクをキモイと思っているわけではないということを知りました。

(そもそも顔が良くてアイドルやっている女性が必ずしも見た目で人を判断する人って決まってないよな。当たり前のことだった。)

 

次からが本題なのか。「さとり世代の地下アイドルステップアップ論」という題が付けられているこの章の内容は自身の地下アイドル歴の振り返りと、地下アイドルがどうやって地下アイドルしているかについて。知らない業界の話って興味出ますよね~。

それより、今大学を卒業している姫乃たまがさとり世代という語を使っていて、自分ってさとり世代なん?って気持ちが出てきたんですけど、どうなんですかね。悟りたい。悟って遁世したい。遁世して高等遊民になって、なぜかお金を大量に手に入れて、毎日衝動的に美味いもの食べては美味い酒を飲んでスタバに行って本を読み、古本屋や丸善書店で本を買い、突発的に旅行をしたい。お金が足りない。ある程度まとまった金がボンと欲しいし、宝くじが当たれ。買ってないけど。

 

メインはこのステップアップ論と、その後の対談(2)を挟んだ次の「わたしのアイドル観察記」なのかな。観察記の方が僕は読んでて好きでした。内容上手く言えないけど、こっちの方が姫乃たまの主観的な言葉がある、気がする。上手く言えないから断定も出来ません。

 

本題というか、ブログを書きたくなったのは、本の中で引き込まれた言葉を載せておきたかったから。

(文字が立つようにしたのは上からシャーーとやってきた人がわかるために、です)

これ以降の言葉は基本的に本文の引用です。僕の言葉は奥ゆかしげにしてます。

 

地下アイドルは舞台に立った瞬間、観客に共有されて、熱狂に包まれます。熱狂はその中に、地下アイドルの承認欲求や、ファンの認知欲求などを孕んでいます。

 

ひとりの女性を複数人で共有する際に、こうした熱狂が生まれる例は、ツイッターや、「のぞき部屋」の空間、「オタサーの姫」現象にも見られるため、これらと地下アイドルライブの共通項を探りながら、地下アイドルのライブが、彼女達の価値を高める空間であることを書き出していきます。

 

オタサーの姫と地下アイドルの違いについて姫乃たま

それで実際に私も両者の違いについて考えてみるのですが、これがわからないのです。むしろ、考えれば考えるほど似ています。「あんなにちはほやされるなんて、サークル内でなんかしてるんじゃないの」という外部からの悪口の質まで含めて、似ているのです。

 

レスも認知もチェキの枚数も含めて、ファンの欲求は地下アイドルのライブで昇華されているようにも思うのです。

 

「幻の近代アイドル史:明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記」(彩流社)には、当時、浅草オペラに出演していた女性に関して「歌もダンスも下手なのに、どうして人気があるのか。なぜ人気を得ることができたのかとなると、舞台から観客に対して媚を売っているとか、女としての武器を巧みに使っているとか、劇場の外でファンにサービスをして繋ぎとめているとか、そういった批判が繰り返された」と、ありました。

これは感心した。文脈的に大正時代の話なんだけど、アイドルという言葉がなかった時からこの「未完成さ」カリスマとかスター性を持った憧れの子じゃなくて普通っぽい子、同じクラスのあの子という存在に人気があったということ。

 

濱野智史という人に聞いた話を書いたところ。僕はこの人が誰か知らないけど、熱狂的アイドルファンで、アイドル事務所っぽいやつの運営みたいなことしてるらしい。

アイドルを応援する楽しさを「そりゃあ楽しいですよ。純粋にアイドルを応援している時の気持ちは、恋愛における片思いに似ているし。人は子どもを作らないといけないから恋愛に似た行為は楽しくなるようにできてますよね」と、説明してくれました。

 

スポットライトを浴びる職業だからこそ、不安定だった精神を、より濃い影として捉えられていた感覚はあります。

僕がこんな上手いこと言えたら多分今年一番のドヤ顔しちゃうと思う。あ、文脈読まないと伝わらないか。読んでみましょう。最後の方に書いてありますよ(今年30番台ぐらいのしたり顔)(ドヤ顔としたり顔で上手く文体を掛けられたことに30番台より上の順位のニヤニヤが出てきました)

 

 

 

・・・と、記録して参りました。

(これ以降は感想なんで数行飛ばして大丈夫です。最後にもう1個だけ引用して終えます)

読み終わって爽快とはしないけど、「承認欲求を得たい子」と「認知されたいという認知欲求を持ったオタク」という合わせ鏡のような欲望の満たし合いの構造があると知り、そして彼女がその隙間にまさに潜むように生きていること、うーん、上手くまとめられないんですけど、読んだ感想、知らない面を知った感じです。刺激的な授業の後の、終わった後に放心してしまうような、そんな気持ちかもしれない。少しニュアンスは違いそうだけど。でもアイドルとか承認欲求とか、そういうの読みたい人は読んだら、いいのか、な。いや、読まなくてもいいかも。ひっそりと読むぐらいかも。よくわかんない。でも、地下アイドルがよくわかんない人、イメージしかない人は読むといいと思います。新鮮です。2015年5月ぐらいの記事を加筆修正して載せてたりと、めちゃくちゃ最近のことまで書いているから、多分姫乃たまさんはめっちゃ頑張ってこの本を書いたんだ。だからその頑張りを、見よう。

 

最後の引用です。地下アイドルの闇を綴ってきて、自身も一時期過労で精神的に病んでしまった姫乃たまさんは、でも最後にこう締めてます。地下アイドルという文化/現象が自分の生きる世界とは違う次元の世界ではないと僕も思います。同じ次元で生きているということ。

私は地下アイドルだけに、特別深い闇があるとは思っていません。