動きの自己啓発
例えば部屋にポスターを貼る、とか
放置してる本を本棚にしまう、とか
床に落ちている物を片付ける、とか
食器をキッチンに持って行く、とか
読もうと思った本を実際読む、とか
そういう、実働に5分とかからない作業をちゃんとする、ということ
なぜこれが出来ないのかは、考える必要がある
気力と言っている多くのことがこういうことになっている
「なんか、精神的にダメになった時って一切本読めなくなって」
「しかも最近それがずっと続いててダメなんですよね」
『ADHDの検査やってる医者に行って一回検査受けてみるといいですよ』
きれいなものを見てきれい、って本当に思ってる?
愛とか言って誤魔化していない?
良い言葉を使えば自分に徳ポイントが加算されて、いつか幸福、として返ってくる、なんて考え。世界はそうやって回っています。そういう思想を持っています。そういえば父親は、僕が姉弟に比べて理不尽を被っていることを訴えた時、決まって「じゃあ今度良いことあるよ」とか言ってた。それですよそれ。つらいことの後には良いことが待っている。そんなの、小学生の道徳の授業みたい。もう通信簿は卒業したよ。
もう永遠に、次は聴けない音楽と、すれちがいたい。それなら好きになったりなんかしないで、ただ純粋にきれいって、言えるはずだった。
ちゃんと生きていればいつか幸せになれる。幸せなんて自分で決める。俺は今が幸せだよ。時間が止まってしまえばいいのに。いつもそう思っている。2年後僕はどこにいるだろうか。2年後の自分は何をしているのだろう。2年間糠漬け作ろうなんて言わないよ。
就職活動ってめっちゃキモくないですか?
自分を出すとか「は?」って感じ。代打なんていくらでもいて、別に誰でもいいから僕を使ってくれって感じ。僕にしか出来ないことなんてない、っていうのが重い思いです。