文章と色々で

何を書くかはわかりません

言葉は尽きないけれど(サークルクラッシュ同好会の会員たちへ)

ずっと続く

 

今年も色々あった。あった。あったのか?
今年がもう終わる。終わってしまう。あと数日で令和2年になるらしい。なぜ。まだ。

 

僕はサークルクラッシュ同好会の会長ですが、今年はほとんど何もしなかった。
ほかの多くの会員と同じように黙って例会に行かないことが増えた。
ちなみにサクラ荘という団体に対しても同じことをしてしまっている。すみません。

 

アドベントカレンダーの登録も無視しているうちに無事に全員埋まったのだけど、複素数太郎の文章を読んだら自分も何かを語りたくなったからこのブログを更新した。

自分語りをします。思いつくままに。

 

先に断っておくと、おそらく私が語る内容は事実(日付や場所や文脈)を間違っていると思います。
もはや何が真実かわかりません。私が語るのはもはや嘘か本当かわからない話です。でも、その違いが何だと言うのでしょうか。日付を間違えていたら、私の語る言葉がどうなると言うのでしょうか。わかりません。教えてください。
だから(だから?)気にせず私は語ろうと思います。何かを。誰かに何か(この何かは私が思う「何か」でなくてもいいです)伝わると信じて。

 

サークルクラッシュ同好会会長というものについて書きます。

 

僕が会長になったのは大学4回生の年のはずです。
大学4回生だから2017年か。確かめる気力がありません。5分もかからないことができない。

 

サークラの活動の特徴は参加が自由なことです。グループLINEで呼びかけますが、必ず参加する必要があるものは一切ないです。
数年間来なかった人がふらりとやってくる、なんてこともよくあります。

 

ただ会長は基本的に全て参加です。そうするとどうなるでしょうか。
例えば新歓。毎年4月は京大の食堂で平日週2,3日を新歓に当てています。
新歓の日付、時間、場所を書いたビラを既にビラロードで撒いているので、それを見て来た新入生(新入生じゃない人も来る)に対して同好会の説明をします。
普通の会員であれば、気が向いたときに行けばいいものですから気軽なものです。
しかし会長は準備が必要です。目印代わりに使っているサークルの看板を用意し、歴代会誌やサークラ関連書籍、ビラも数枚用意して18時半には食堂にいなきゃいけません。

普通の会員は自分の選択で参加を決められますが、会長はそもそも自己を疎外して職務を果たすのです。
看板は悪目立ちするので、正直最初は苦手でした。目立つのが得意じゃない、僕は。
雨が降ってても時間通りにいなきゃいけませんから大変です。

 

思えば3回生か4回生の春に、ホリィ・センをちょっとでも助けようってふと思い立ったというのがあります。ホリィ・センはたいてい遅刻していましたし、毎回看板とかの準備を任せるのもなと思い、先に僕が行って場所を確保したりしていました。

私がやっていたのは純粋なる人助けだったのです。

 

会長としてやったことを思い出すと、こういう準備の時間を思い出します。
例会も内容を決めて必要なものを用意して教室を確保して、しかもLINEやTwitterで告知もして、そこまでしても開始時間に誰も来ないことだってありました。

 

今年のNF、僕は当日店番はしませんでしたが、前日の準備に行きました。


その日は朝起きてからずっと大阪でバイトだったので疲れていたけど、夜19時ぐらいに出町柳駅にバイト帰りの私を乗せた京阪電車が着いて、私は急に鴨川に行きたくなったのでコンビニに寄って鴨川に行きました。
鴨川デルタから西の岸、そこの北にかかっている橋、その橋より北にはあまり人がいないもんですから、私はそこが結構好きです。
ベンチに腰掛けて私は川本真琴のピカピカを聴きました。もうすっかり夜。

寒かったかは覚えてないや。

 

“全財産つめた鞄が軽くてステキでしょ?”
川本真琴の歌詞に出てくる人間のようになりたい。

 

好きな歌を聴いて元気が出てきたのだから、NF準備に行こうと思った。
そう、これはNF準備に行く話。
ホリィ・センにLINEして、集合場所に向かう。誰もいない。ホリィ・センが来る。
2人で準備を始めることに。
来ない人を責めたいんじゃない。準備した人がいることを知ってほしい。
深夜2時ぐらいまでかかった結局。途中から数人手伝いに来てくれて本当に助かった。

 


サークラの人は時間にルーズですから、遅刻が当たり前です。

サークラの活動は自由参加ですから、人がほとんど来ないときだってそりゃあります。

この当たり前自体を私はよくないと言いたいわけではありません。

でもこの当たり前の陰で、私は自分の心に虚しさを蓄え続けてきました。それを知ってほしいのです。人を責めるつもりは一切ありません。ただ私の虚しさを受け止めてはくれませんかと、この虚しさを誰か一緒に考えてはくれませんかと、言いたいだけなのです。私は開かれた未来に踏み出していきたいだけなのです。

 


わからない。
僕が会員に期待し過ぎなのだろうか。だめ。もうこのことについてつまらない言葉しかこの先に出てこない。だから、なるべく、それを、避けて、慎重に、丁寧に、言葉を。


僕が求めていることが会員への攻撃ではないことを信じてほしい。

不信感を生んでしまうようなことを書いているのはわかっているけど、どうか優しい心で文章を読んでほしい。
私が伝えたいのはただ、私を認めてほしいということである。私がやったことを知って、よく頑張ったありがとうと言ってほしい。なんか、ただ謝るだけとかをやめて。謝ってほしいんじゃないんですよ。伝わるかな。
ちゃんと言葉を使ってほしい。求められる言葉じゃなくて、君が発したい言葉を発してほしい。

 

私自身が求められる言葉にずっと囚われてきたから。会長をやっていて。

私自身が誰かにずっとそう言われたいと欲望しているから。
自分の欲望を真摯に見つめた先の先にある言葉を、発してくれる川本真琴の歌詞のような人になりたい。

 

「かしぱんがサークラの会長になったの失敗やったなあ」とホリィ・センに言われたことがある。僕にとっても、会員にとっても失敗だったのかもしれない。
それなりにやってきたけど、上手くできなかった自覚はある。
現に私は体調を崩して学生生活はもう終わり、サークラにはほとんど行けてない。

問題を起こしたし、同好会自体の存在感は薄れているでしょう。
一部からは会長になって会員と次々付き合って別れたやつ、と思われてそう。
まあ、そう思ってる人に対しては「そうですか」と思うだけですが。もう虚しさしかありません。


ただ、やっぱりたくさん後悔していますよ。

 

私自身、多くの人に対して無視をしてきたし、今もしてしまっています。私も誰かの心に虚しさを生んでしまっている。自覚はある。何とかしたいと思っている。でも、私の虚しさだって無視されたくない。この負の連鎖をどうしよう。


おそらく数年後、今サークラ(とサクラ荘)に対して無視している状況も私は後悔すると思います。それをわかっているのに、何とかするだけの元気がない。

 

たしかに私が会長をやったのは失敗です。
皆さん、これまでたくさんすみませんでした。
会長やってこうなるなんて、思ってもみなかったです。すみませんでした。

 

 


ただ、それでも、最後にちゃんと書いておきたいことがあります。会長をしてよかったと心から言える時間を一緒に作ってくれた友人がいることを。

去年、京都を一度去ることを決めた複素数太郎に、「かしぱんが会長でよかったよ」って言われた。泣きそうだったな。ありがとう。去年は複素数太郎と一緒に過ごす時間が長かった。その時間の全てを私はよかったと思っているよ。

そして小林通天閣、僕が会長になったときに半ば強引にサークラに引き戻したのに、僕がサークラ同好会を運営していくのを一番に助けてくれました。とても心強かったし、僕ら無敵だったと思う。ありがとう。今もずっと、心の支えであり続けています。

 


ああ、ここで文章を結べばほかの会員に対してたくさんの無視をしてしまう。
また負の連鎖に加担して誰かの心に虚しさを生んでしまうのではないか。そしてそれはほかの会員の信用を失ってしまうことに繋がるんじゃないかという怖さがあります。
(例えばホリィ・センに対してはまだ伝えていないことがたくさんある。)
1人1人の会員に対して、私が気持ちを書き連ねれば、本当は永遠にこの文章は続けられるし、まだまだ書き続けなきゃいけないけど、ここで一度文章を閉じさせてください。

 

それをし続けるほどの元気が私にはありません。

 

喋りたいです。皆さんと。互いのことをもっとよく知りたい。
相手を信じ、自分を信じる気持ちをもって喋ること。

難しいからなかなか出来ないのはわかっているけど、そうしたいと思っております。

そうすることが、関係を未来に向けて開く唯一最もたしかな方法だと信じております。

今はこれで文章を閉じさせてください。 

 

どうか不信と悪意で世界を満たさないで、私があなたを、あなたが私を信じ続けられますように。
あと数か月で京都を去る私はそう感じております。